プロフィール

hirusagari

Author:hirusagari
2008年2月24日
3012gカイトを水中出産。
2011年4月12日
2938gエイトを出産、
二児の母。


2010年8月8日
フランスアンティーク
・ブロカントの
東京奥沢で『帆風舎』立ち上げ、
2011年10月四国へ移住。
2013年4月愛知県長久手に移住。
しばらく旅をしながらイベント参加、
ブロカント(フランス古道具)販売中。

夫婦共通の趣味は子育て。
人に出会うこと。

カイトとエイトと愉快な仲間たち。




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カンボジアという国

 数十年前、私が高校生の頃・・・

ニュースではカンボジア難民が船に乗り、
日本までやってきている事を伝えていた。
ボロボロの船に真っ黒に日焼けした人々が山ほど乗っていた。

 
確かな記憶ではないが一年間で190艘を超える難民船が
日本に助けを求めてやって来ていた。
よくこんなボロボロの船で日本までやってこれるものだと思っていた。
近隣の国や島にもだいぶ流れついているに違いあるまいと思っていた。
辿り着けずに沈む船、
船内で死ぬ人々、
日本の難民収容所で数日過ごした後、領海外に強制出航させられてしまう。

しかし、いくら好景気時代の日本でも、
中東方面の外国人が地下街や駅周辺を中心に全国の公園に大勢やってきており、
変造、偽造テレカを売りさばくなど、
これ以上・・・という国民感情があったのも確かであったろう。

ーーー日本の敗戦時代ーーー
 

家は焼かれ、ビルは倒れ、人々は傷付き、親を無くし、
子を失い、原爆の後遺症に悩む・・・
そんな人々も少なくなかった時代、
日本の国民はボロを着、
しらみわく中、
やみ市やみ米を求め、
飢え暮らしていた。
 
そんな時代、南の国より、助け船とも呼べるお米を送ってくださった国があり、
それがカンボジアという名の国だと知り、私の心は熱くなった。


私はこの旅で少しながらの飴と鶴の折り紙を手渡した。
傷を背負った子供達の素敵な笑顔が見れた。
そんなことしか今は出来ないけど、
小さくても出来ることから少しずつって気持ちだった。

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